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聖歌55 わが主の家庭



55 わが主の家庭
作詞: N.Tujimura 作曲: N.Tujimura

1、楽しきエデンよ、わが主の家庭
無限に溢れる愛の泉は
渇きし心の、砂地に流れ
生命(いのち)の若葉を萌え出でさせん
歌いて楽しめ、一つになりて
2、平和の砦(とりで)よ、わが主の家庭
憂いと悩みの巷(ちまた)を出でし
わが身を招きて、かき抱きたもう
温き腕(かいな)、主のふところよ
笑みする心に、わが主を偲(しの)ぶ

3、強き礎(いしづえ)、わが主の家庭
岩の上(え)に建てし神の幕屋ぞ
激しき雨風吹き荒るるとも
など恐るべき我等は一つ
信じる心の、堅き砦(とりで)は
4、香りぞ気高し、わが主の家庭
愛する心の満ち満ち溢れ
心もて祈り、身をもて侍らん
あまねく放てや、愛の香りを
天地すべてに、とく放てよや

聖歌 第一部 55番「わが主の家庭」

 千葉中央修練所で聖歌指導を担当し、日本の世界平和統一家庭連合の『聖歌』編纂に大きく寄与した辻村なをみさんが作詞・作曲をした聖歌です。

 今回は、「さんび」の起源をご紹介しようと思います。

 初期キリスト教において、「さんび」とは詩篇を歌うことでした。
 旧約聖書の「詩篇」が、讃美歌(賛美歌)・聖歌の源泉です。

 福音書を読むと、イエス様が詩篇を愛踊(あいしょう)していたことを知ることができます。

 また、使徒行伝に「信者たちは日々心を一つにして、パンをさき、よろこびと、まごころとをもって食事を共にし、神をさんびした」という部分がありますが、この「さんび」も詩篇を歌ったものです。

 時代が進み、形骸化したキリスト教に宗教改革ののろしをあげたルターは、「音楽は神からの賜物」と表現しました。

 「音楽は神からの賜物であって人間のものではない。音楽は悪魔を追い払い、人々を幸福にする。音楽と共にある時、人はあらゆる憎しみ、野卑、高優、その他の悪徳を忘れる」

 聖歌や讃美歌は、慰労と感動をもって人々の魂を神のもとにいざなう聖霊の役割を担ってきました。

 み言は神から人への語り掛けとして、また讃美の歌は人から神への呼び掛けとして、信仰生活の両輪のような働きをするともいわれています。

 信仰復興運動が起きるとき、そこには必ず、心から湧き上がる歌声があったのです。

(参照:中和新聞 vol.590、591「聖歌の心情をたずねて@、A」)





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