聖歌4
4 栄光の賜物 1、はるかに輝く栄えの光 強く生きよ自由の生命 この地の果てまで目覚め立て 生命の光、永遠にあり 生命の光、永遠にあれ 2、呼びて求むる栄えの主よ 大いなる姿は 天地を抱き "蘇きた生命はいずこに"と 尋ぬる君を如何に迎えん 尋ぬる君を如何に迎えん 3、死から蘇きたこの我は 蘇かしたお方に抱(いだ)かれて 永遠の愛と恵みの声 いついつまでも喜びを いついつまでも讃めまつれ 4、栄えに入るのも主の恵み 愛に満つるも主の恵み 崇め崇めて奉れども 足らぬこの身を如何にせん 足らぬこの身を如何にせん |
この歌は、「聖励の新歌」に続いて、同じ時期に平壌(ピョンヤン)で真のお父様(文鮮明先生)によって作られたものです。1950年の11月でした。
この歌を作られた時のお父様は、興南(フンナム)特別労務者収容所に収監される前に平壌で伝道し育てられた弟子たちを必死で捜され、呼び集めようとされる歴史的な40日期間を過ごしておられました。
ただお一人、平壌まで10日間の道のりを歩かれるお父様は、収容所で食べずに取っておいたはったい粉(オオムギやハダカムギをいった上でひいた粉)を食口(シック)たちのために持って帰られたというのです。持てる最上のものを与えたいという、すさまじいほどの親の愛を感じた証しとして、深く胸に残っています。
ある日、お父様は平壌全体を眺めながら、「私が、この平壌を第二のエルサレムにせよと天から命令を受けて来たのに、人々は受け入れなかったため、共産主義に奪われてしまう」と嘆かれたそうです。
けれども、ご自分に世界と歴史の運命がかかっていることをご存じのお父様は、新しい希望に向かって出発の準備をされつつ、そのような時期にこの「栄光の賜物」を作詞されたのです。
この聖歌の曲は、金元弼(キム・ウォンピル)先生の母校(平壌師範学校)の校歌のメロディーで歌っていたところ、それが定着したということです。
柳光烈(ユ・グァンヨル)先生が「この聖歌の歌詞の性格の特異性といえば、作詞者自身が天の立場に立ったり、一般聖徒の立場にも立ったりするという点です」とおっしゃっていました。
確かに歌詞をかみしめつつ歌っていくと、1番は天からの呼び掛けとして力強く、「強く生きよ、自由の命」と歌い、2番からは主を迎えた聖徒たちの心を歌ってくださっています。
特に4番を歌う時、私たちの不足さに涙しながらも、限りない天の愛につながれていくのを感じるのではないでしょうか。
この聖歌について語った柳光烈先生の言葉を紹介します。
「死の沼のような、恐ろしい獄中生活を免れて出てこられてからまだ一カ月もたたないときでしたが、その心を表現されたこの聖歌の中には、険しい道の痕跡すらなく、むしろ新しい世界、新しい歴史建設に対する感激と希望が躍動しています」
(参照:『聖歌のめぐみ』)